昨年、神山町役場さんとすだちの映像を制作しました。
自分自身にとって初めての長編ものの制作ということで、難しい部分も多かったですが、
終わってみると良い映像になったのではないかと思います。
60年前に神山ですだちの栽培を始めたグループ「果樹園芸同志会」のメンバーだった、
高橋衛さん、橋本純一さん、高橋功さんの3人と、すだちの最盛期に青果連で販売を担当していた粟飯原基行さんにお話を聞きました。
制作の際に色々とすだちの事を調べましたが、お話を聞いてみると、
記録に残っていないことも意外と多くありました。
今では、徳島県を代表する特産物ですが、昔は見向きもされていなかったそうです。
(なので意外と情報がない)
神山町の資料をみても梅の記事は多くてもすだちは隅に少し記載されている程度…
60年が過ぎ当時のことを知っている人がどんどん減る中、
今のタイミングで制作できたことで、少しは当時の記憶を残せたのかもしれません。
今回はすだちについての映像制作でしたが、
すだち以外にもこのようなことは日本全国にあるのではないでしょうか。
メディアが発達する前は、日本各地に独特の濃い文化があったはずです。
(沖縄出身の私はもちろん私の両親世代ですらテレビに影響を受けており、
標準語のニュースをみて関西弁のお笑いを理解し、自分たちも標準語に近い言葉をしゃべります。)
そのメディアに影響されなかった世代が、後10年もすればいなくなってしまいます。
これは結構大きな問題かなぁと個人的には思います。
昔のことを知る人がどんどん減っていく中、少しでも多くの日本の文化や風習、
人々の記憶が残るようになればいいなと思います。
文/兼村雅彦